私は雑兵

社内ニートが何者かになりたいブログ

【その他】サロンなんぞ入らんでも、社畜辞めればいいのに

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ブログ界隈は必ずどこか炎上していると思っているのだが、気のせいだろうか。

 

Twitter方面ではどこぞの金持ちが「お金ばらまいたる!」などというリアル龍が如くみたいなことをしているようだが、正直私の興味はそそられない。

 

あぶく銭はすぐ消える。

若い子は覚えておきなさいな。

 

さて、今日はそれとは別に炎上している問題を眺めていておもったことを書いていこうと思う。

金を搾取する人間を師と仰ぐなら、徹底的に自分も搾取側に回るまで行動すればいいのではないかね。

 

【目次】

 

サロンと経歴詐称にて炎上

mecchanikukyu.hatenablog.com

 

今日は上記記事を読んだ。

内容を要約すると

 

  • サロンを運営している正田圭氏の経歴詐称が話題
  • その話題についてサロン生が質問した結果、垢BAN

 

以上である。

 

正直に今、自分の感想を書くなら以下である。

「サロンなんぞ入らんと、早く社畜辞めればいいのに」

 

サロンという商法

そもそも、サロンというのは本来、クローズドコミュニティのことだ。

月額を払ってアカウントを作成することで、同じく月額を支払っているアカウントと交流することができるシステムである。

こうしたサロンの良い点は月額を払っているため、同じ何かに興味を持っている人員との交流であろうか。

 

さて、このサロンという商売で一番儲かるのは誰か。

無論、サロンの運営側である。

 

サロン運営者にとってサロン生という人間は非常に扱いやすい。何故か。

すでに月額を払うほど、運営を慕っている人だからである。

 

よくよく考えてほしい。

Twitterのような場所で有象無象の衆に「右向け右!」と発信するのと、サロンのような閉鎖的空間で「右向け右!」と発信するのと。

Twitterのような場所であれば全員が全員、運営の信者ではない。そのため反対意見が起こり、反対でも賛成でもない人間は両方の情報をインプットして判断を行うことになる。

対してサロンのような閉鎖的空間では、圧倒的に運営の指示派が多く、どちらでもない中立派に入る情報の多くが賛成意見となってしまうのだ。

 

日本人の性質上、周囲の人間が「白」と言っている状況に対して「黒」とは言い難い。

 

馬鹿の語源、一説に秦の宦官、趙高が二世皇帝に鹿を馬と言って献上し、趙高が怖いためおおよその人が黙認した、という話があるが、あれに似ている。

 

サロンという閉鎖的空間は意見を左右しやすく、左右した結果、利益を得ることがたやすいと言えよう。

 

サロンと信者

では、こうしたサロンで学んだ人はどのような道筋をたどるべきなのだろうか。

 

最初に述べたとおり、「金を搾取する人間を師と仰ぐなら、徹底的に自分も搾取側に回るまで行動すればいい」のだ。

 

そもそも、サロンに入りその人のビジネスを学んだところで同じように成功するとは限らない。土壌が違う場合が大半であるし、運といった不確定な要素も大きい。

 

もっとも効率的なのは「あの人のサロンで学び、●●(嘘の経歴でもなんでもいいから成し遂げたこと)をやり遂げたXXが成功した秘訣を教えます!」といってサロンを開くことであろう。

 

……ってアホかいな。

嘘の経歴を語ることはまごうことなき詐欺だ。

逆に行けば、閉じられた空間というサロンで稼ごうなどというのはマルチ商法と同じで親(運営)にならなければ儲からない。

そこに着目し、嘘を言って「はい、すごいでしょ?お金ちょうだい!」とやったのが、正田圭氏なのだろう(適当)

まあ、彼の経歴が嘘だと証明されれば、の話であるが。

 

サロンなんてやめて、自分で思考して動くこと

サロンという運営体系を解析すればするほど、それが自分のためにならないことに気付く人は多いのではないだろうか。

そうだ、誰かに話を聞くだけで金がもうかることなどないし、社畜を脱することもできやしない。

 

要するに大事なのは自分で思考し、動くことであり、サロンに入るだけでは変わらないことを留意しなければならない。

もちろん、サロン自体が悪いわけではない。情報のインプットとして使うなら、通常の場合より情報が集まりやすいメリットもある。

しかし、そうして得た情報も思考し、利用できなければ意味がない。

 

サロンに入って終わる人は、参考書を購入して勉強した気になっている高校生のようなものである。

 

いい大人なのだから、脱社畜したければ、転職すればよいのだ。

宗教なんぞはまっていないで、自分で思考し、自分で動くべきなのである。

 

以上が私が述べられる見解だ。

いつの時代も、囲い込みは多いものなのだなぁ。(遠い目)