私は雑兵

社内ニートが何者かになりたいブログ

【仕事】社畜自慢、もうやめませんか?

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そろそろ始まるぞ……くるぞ……同期で入ったけど現場がバラバラで久しぶりに会った同期からの一言……

 

「俺、ここ最近、まじ忙しいわ~。やっべ、超寝てないわ~!」

 

はい、社畜自慢いただきました!!!

 

目を爛々に輝かせて「俺、そろそろ残業時間90時間超えるわ、やっべ!」とか言い出して、揚句「まだ残業してねぇの?うらやましいわ~なにそれ?」とか言い出す奴~!!!

 

マジでいらんわ、その社畜自慢!!!

 

【目次】

 

日本が誇るブラック文化 『社畜自慢』

……失礼。

このブログは憤りでできているが、ここまでの憤りを発散させたのは今回が初めてかもしれない。

まあ、雑兵のたわごとだと思って許してほしい。

 

さて、この社畜自慢であるが、ウザいと思っている人はどれほどいるのだろうか。


個人的には上司がする「若いっていいね~」から入る過去自慢の次くらいに鬱陶しいと思っている。

 

この社畜自慢。おそらく社畜(会社に属している家畜同然の社員)が『多く働いている自分 = 社会に貢献できているカッコいい存在』と何かをはき違えているから起こる自慢話である。

 

だが待て、しばし。

 

たとえば二人の人間が、ここにいるとする。

二人とも同じ量の仕事を与えられており、仕事の量を100と仮定しよう。


一人はその100の量を8時間で終わらせ、定時には「おつかれさまでした」と帰っていく。
対してもう一人はこの100の仕事を13時間で終わらせ、23時頃にフラフラと帰る。

 

どちらの人間が優秀か、子供でもわかりそうなものであるが、なぜ社畜は単純な計算すらできないのか?

 

いや、わかっている。

中には仕事の量が多すぎてヒーヒー言っている人も多いのだろう。

そして、そのせいで残業をせざるを得ない人だっているのだ。

 

しかし、自慢しなくてもよいのではないか?

 

そこは恥じるべきである。

もしくは退職をほのめかすべきところだ。

やっぱり冷静になって考えろ。

 

「俺、まじ社畜だわ~」が自慢になっている日本がおかしいことについて!

小一時間、いや数時間は考えろ!!正気に戻れ!!!なあ!!!!

 

残業するとハイになる?

しかし、この社畜自慢の怖いところは『残業をすると感覚がおかしくなると同時にハイになる』ことにあると思う。

 

ここからはあくまで個人的見解だ。

 

社畜自慢をしている人は非常に『エネルギーに満ち満ちているように見える人』が多い。悪く言えば『余裕がなさそうに見える人』なのだが、それは捨て置く。

 

何故、残業をおおくこなしているのにそのように見えるのか。

一つには『仕事を多くこなす = 強制的に時間が充実するから』ではないかと考える。

 

同じ1時間でも内容によって流れが速くなったり遅くなったりするのはアインシュタインが見つけた法則だ。

私のような社内ニートは1日での生産性が0であるため充実感はまるでない。


しかし社畜はどうであろう。

彼らは1日にかなりの仕事量をこなすことになる。正確に記載するならば"かなりの仕事量をこなさなければならない状態へ追いやられている"のだ。
このため、社畜の時間的濃度は非常に濃くなり、また一日も早い。


彼らはこの早く流れる時間の中でアドレナリンを出しまくり、強制的に時間を充実させられているのだ。

 

二つ目に『そうでも言わないとやってられない』という心理があると思われる。


いわゆる、ヤケクソで、忙しい自分やその異常性に気付きながらも『それを無視する方法としてエネルギーを大放出している』可能性は高い。


異常性に気付き、自覚をしてしまえば、そこからは下り坂でおそらくその違和感を取り除く方向に向かうに違いない。

しかし、社畜と呼ばれる人は立派な社会人である。

社会人であるからこそ、仕事を遂行する責務が生じ、結果として異常性を無視するしか方法がないのではないか。

 

これらの要因から、社畜は自分の行為を美化し「まじ残業つれーわwww」と自慢話に昇華しているのではないだろうか。

 

理論はわかった。しかし

さて、ここまで書いたが個人的に意見を言わせてもらおう。

 

社畜、病院行け、な?

 

残業をしているだけで超過労働なのに、ましてやそれが何十時間も重なるとはどういうことであろうか。明らかに働きすぎである。


そのような働き方をしていれば、いずれ体か精神を壊すのは必須だ。

すべきは、病院に行くか、労基に駆け込むかであり、自慢をしている場合ではない。

 

秋ごろの風物詩「同期の社畜自慢」に終止符を打つべく、私はこの文章をWebという大海へ流すことにする。現在の働き方改革への一歩として、偉い人の目にでも止まればいいのに。